黒色の細く長い睫毛が少し、震えて日本人特有の漆黒の闇のような瞳が姿を見せる。 意識が戻って間もない所為で―――少なくとも自分はそう思っていたくて―――闇色の瞳が溶けるような色を放っていたのを、目を逸らしてしまう事で避けるのが怖くて目蓋を固く伏せてしまった。 それでも結局は同じ行為であるというのに。
………神田?」
 彼女は自分をきちんと目で確認してそうして名を呼んだ。それをその声色で聞いて取れたからこそ幾分軽くなった目蓋を抉じ開ける。
 そこに居たのは当然なのにそれでも理不尽だと感じてしまう、青ざめた顔色をしただった。
 食事は一日三食、きちんと摂っているのかと俺でさえ訊きたくなってしまうほどにほっそりとしている左腕には不釣合いすぎる太い点滴の為のチューブが繋がっていた。 規則正しく落ちゆくその雫はまるで、死を目前にした人をただひたすらに延命するだけのアルカロイドのようだ。本当はただの栄養剤だとか造血剤だとか、なのだろうけれど。 そして俺は俺らしくもなく、ただ悲観に走っているだけなのだろう。
 本当に、コイツの欠片でも関与する事ならば、俺は酷く自分を見失ってしまう。
 そしてその理由を疾うに知っていた。
「ヒドイなぁ、ヒメ。ボクも居るのに神田君しか見えてないの?」
 ヤキモチ妬いちゃうよ、とそう言いながらコムイはに笑いかけた。もしかすると悲しさを演技で巧みに誤魔化していたのかもしれない。 緩やかに伸びたコムイの右手がの漆黒の髪を撫ぜる。するりと逃げるように指の間から落ちゆくそれを見ていると、何故か酷く悲しくなって。
「よし、じゃあヒメの気も付いた事だしあとは神田君に面倒見て貰ってね、ヒメ」
 じゃあねー、と呑気に間延びした口調でそう言いながらコムイは手をひらひらと振って行ってしまった。 俺に許可を取る気は毛頭なかったらしい。……いつもの事だが、いつもの事だという事実に腹が立つ。
 その様を見ていたくなくて、だから席を外したくて、腰を浮かそうとした、のに。
「神田、まるで死人みたい」
 目が覚めて間もないのに、屈託なく笑いながら放たれた言葉は、意味と声色が矛盾していた。死人みたいなのはお前の方だろう、と言い返そうとして、
……ま、今の私に死人扱いされたくはないでしょーけど」
 と、先を越されて言葉に詰まってしまった。
 それにしても死人みたいだなどと言われるなんて思いも寄らない。死神みたいだと言われる方が幾分しっくりきてしまうのは自分がエクソシストだから、なのだろうか。
「顔がね、真っ青だったの」
 先程よりも落ちたトーンで呟かれたそれに一瞬、何の事か分からなかった。それに気付いたのだろうは「神田の顔が、だよ」とまた少し笑って付け足した。 俺は然して悪い所があるわけでなかったから意味が分からず、俺の顔が真っ青なら血の気の完璧に失せたお前の顔色はどう表現するんだ、とくだらない事を思った。 それでも、少しは血色が良くなっている方だという事に少し、安堵しながら。
「あと、……いいや。これはきっと言わない方が良いね」
 視線を彷徨わせて逡巡した後、何処か申し訳なさそうに笑って。
……何だ」
「何でもないよ」
「言え」
………
………
……だって神田、怒るもん」
「怒らねぇよ、……事と次第によっては」
「じゃあ絶対怒るから言いたくない」
……てめぇ」
 青筋が浮かんでいるであろう俺の顔を見て、彼女は苦笑した。
 苛々する。真白なシーツ、這うような黒髪、青白い顔色、何もかもが気に障る。
 コイツは重症な筈だ。圧倒的に血の量が足りていない筈だ。腹に穴が開いていたのだ、痛くないわけがない。 なぜ、そうして笑っていられる? なぜ、笑ってそう言うのに、この上ないほどに痛そうなんだ。
「ねぇ、神田」
 無言になった俺を何処か心配そうな目で見上げるに、無性に腹が立った。酷い罵声を浴びせそうになる。酷く、苛々する。あの時と、同じように。
 黙ったまま、視線をに戻すとまた薄く笑った。いっそ痛みに泣いてしまえばいいと思うのは俺の醜いエゴだ。眉間に克明に刻まれているであろう皺は、数を増やすばかり。 俺がもう少し、言葉巧みであったなら少しは状況も変わっただろうか。
 はそんな俺を見て何かを言いたそうに口を開くけれど、また視線を彷徨わせて逡巡する。
 言いたい事があるのなら、言えよ。
 と、そう言えたならどれだけ楽だっただろう。結局俺はいつでも何も言えないままだ。
「そんな、泣きそうな顔をしないで」
 消え入りそうな声がこの鼓膜に届いて、言い淀んでいた言葉はこれだったのだろうと直感的に悟った。居た堪らなくなってがたんと椅子を鳴らすと彼女は引き止める事もなく静かに目蓋を閉じた。
 その様を自身に焼き付けるように見届けてそして静かに扉の前まで移動する。扉を開けて、
……泣きそうなのはどっちだ」
 不意に出たこの声が君に届いていなければいい。


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