随分前の、話だ。
 なぜ、と消え入りそうな声で尋ねた言の葉の、その返事を考えたまま俺は何もできずに居る。
 悲しいと、そう思うのは錯覚で嘘なのはただそう思っていたいだけだと知っているけれど。







 まるで君は夕陽のように真っ赤に染まっていた。けれどそれは夕陽だなんてロマンチシズムに溢れたものでない事を勿論お互いに知っていた。 それは体内から溢れて熱を放出しそして自身を赤く染め上げて、タイミングのいい夕陽が現実を遠ざけるように欺瞞しているだけだ。
……ばか、やろう」
 その赤いそれの出ている量に比例するように掠れゆく声色に酷く苛々した。そして誤魔化すようにそのまま、なんで俺を庇った、とぎらりと前方を睨んで付け足した。 声を飛ばすべき方向へ首を擡げる事は、もうできなかった。ここで終りなのかと、ふと脳内に弱音が蔓延る。途端、持ち上げる事さえ億劫な頭を左右に音が零れそうなほどに激しく振った。 ……それでいいわけがない、こんな所で死ぬわけには。
「なんでかなぁ。……でも、神田だって私を庇ったでしょう」
 自身の右側で同じように血溜まりを作っていたは、薄い唇を更に薄くするように笑って酷い傷の所為で霞む声でそう言った。庇ったでしょう、と飽く迄何でもないように言い張ってそして、だからお返し、と此方を見てまた笑った。
 その笑みで不意に、女がそんなでかい傷を負うんじゃねぇよ、と言おうとして、その言い分が酷く矛盾している事に苦笑した。 そして結局、そんな事は当然言えるわけがなかった。そうだ、イノセンスに適合しているという事は結局そういう事だ。世界中から世界の為に犠牲になれと、そう言われているのだ。だから、
……俺はいいんだよ。でも、だからテメェはするんじゃねぇ」
 俺はその傷を尽き果てるまでは治す事ができるから。

 そして余りの失血の所為か、その後の事を悉く記憶していない。
 それでも数日後、目が覚めたのは見慣れた教団の医務室のベッドの上だった。そして隣には同じく失血して青ざめたと細い腕から伸びた、太い、チューブの束。ぐらりと、視界が揺れた。……動揺?
 ならば、何に対して?
「目が覚めた? 神田君」
 聞き慣れたコムイの声がしたけれど、体が強張って動かない。視線だけを寄越すとやっと体が少しだけ、動いた。 ぎこちない動きにコムイは苦笑して、擬似的な死後硬直だったらボク笑ってあげるよ、と言葉とは裏腹な表情で此方を見返していた。目は口ほどに物を言う。先人は上手く言ったものだ。
「一応それでも、危篤状態からは脱したんだよ」
 視線はの方だった。訊いてねぇよ、と呟くと「そう?」と薄く笑った。 そしてその笑みから酷く目を背けたくなったのに、まだ体が言う事を聞かない。 目を見開いてそうして硬直したまま、聡いコムイの事だから何もかもがお見通しなのだろう。胸糞悪い。
 いっそ何もかもを見通しているならば、助けてくれたっていいだろうに。 皮肉めいてしまうのは、……それでも縋り付いてしまえないのは頑ななプライドの所為なのだろうか。自分では何もできない癖に。
 手を握り締めるとそれこそ思う壺のような気さえして、祖国を彷彿とさせる日本人らしい端正な顔立ちをした彼女を祈るようにただひたすら見ている事しかできなかった。
 もしもこの時、目を覚ます事がなかったら俺はどうしただろう。


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